青鳥城、虎御石、箭弓稲荷神社…見どころ一杯の郊外ハイク 埼玉県東松山市を歩く

支城とは思えない広大な面積を有する青鳥城

今回行ったのは、埼玉県の中央に位置する東松山市。ここには、埼玉県有数の古刹と戦国時代の城跡、そして全国でも珍しい古墳時代の墳墓があるのですよ。

そして、ここは私のウォーキング人生の出発点になった場所でもあるのでした。中学生時代に読んでいた歴史雑誌に、岩山に穴がボコボコ空いている白黒写真が載っていたのです。今まで見たこともない異様な風景に、是非この目で見たいと思ったのでした。

一緒に行こうと友人を誘ったのですが、誰も興味を示さない。仕方なく、一人で地図を片手に出かけたのでした。当時は、地図の見方もわからず、電車の乗り継ぎもわからず苦労したことを思い出しましたね。

それからうん十年。長いようで短い人生じゃったと懐かしみつつ、東武東上線森林公園駅にやって来ました。実は、昔来たときは東松山駅がスタートだったのですが、別ルートで東松山を攻めてみようと思ったのです。

私にとって、それはもちろん城跡の存在。ここ東松山は、関東有数の戦国時代の城跡・松山城がありますが、ネットで新たな城跡を発見したのですよ。

それは青鳥城という同じく戦国時代の城跡です。ネットの情報によれば、城跡は本郭と二の郭、三の郭の三つから成っており、史跡の指定範囲は本郭と二の郭部分なのだとか。昭和47年の発掘調査では、土塁や空堀、水堀が東西約550メートル、南北約300メートルの規模で確認できたとのこと。平地にある古城としてはかなりの規模ですね。この事実を知ったら是非見たいと思うのが城好きの性なのでした。

森林公園駅を出て、地図を片手に城跡に向かいます。城跡は関越自動車道のほど近くにあるらしい。城跡が近づいてくると、こんな竹藪も覗き込んでしまいます。中には土塁があり、まさに城跡だと確信。

ちゃんと案内板もあって、城跡の縄張りを頭に刻み込みます。

青鳥城の築城年代は不詳だそうですが、「源平盛衰記」に1183年、源頼朝が武州月田川のはた、青鳥野に陣をとるという記載があるそうな。従って、本郭は平安時代末期には築城されていたらしい。松山城と同じように、1590年、豊臣秀吉の後北条氏攻めのとき、前田利家によって落城に追い込まれたのですか。

今は畑になっているところも、よく見るといろいろな場所に凸凹があり、土塁や空堀の跡だというのがわかります。本郭と思われる辺りは、すっかり畑になっていて周りをかなりの高さの土塁が取り巻いていました。

昔のお殿様が住んでいた場所でとれた野菜はさぞおいしいのではないか、と。

この城は松山城の支城として使われていたそうですが、支城とは思えないほど広大な面積を有しています。山城のような起伏はほとんどなく、ネットで書かれているように大軍の駐屯地として使用されたというのも頷けますな。ここは後北条方の城らしいですが、戦国時代は松山城を巡って、上杉謙信や武田信玄などのスーパースターがよくこの地域を攻めていますからね。後北条方の大軍がこの城に詰めて、出撃に備えていたのかもしれませぬ。

城跡との関連が興味深いおため池と虎御石

畑や民家が点在するエリアを抜け、新たな商業施設や住宅が建つ広い通りを歩き、関越自動車道の歩道橋を越えると池がありました。

この池はおため池と呼ばれていることから、かつては農作業に欠かせない溜池だと思ったのですよ。しかし、ここはかつての二の郭濠の名残でもあるらしい。さきほどいた青鳥城の本郭からかなりの距離。こんな遠くまで城跡が広がっているとは、と当時の巨大城塞をあらためて実感しましたね。

池の中に小さな島があり、弁天様の祠がありました。そしてその近くには、立派な碑のようなものが…。解説板を読むと、これは比企・入間地方最大の板石塔婆である「虎御石」なのだとか。1369年というから室町・南北朝時代に作られたもので、高さが375センチもあるのですか。

武蔵の国にある板石塔婆はいろいろなものを見ましたが、確かにこんな大きなものは初めて見たかも。近くには青鳥城の土塁と思われる場所もあり、城跡との関連に思いをはせました。

プロ野球選手からも人気を集める箭弓稲荷神社

次に向かったのは、箭弓稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ)。行った日は正月の二日だったので、多くの人たちが初詣に訪れていました。

由緒ある神社だけに本殿の彫刻が素晴らしいですな。

箭弓稲荷神社の創建は、712年と言われておりまする。1028年、平忠常の反乱の鎮圧の命を受けた源頼信が、この近くで野久稲荷大明神と呼ばれる古い祠を見つけたらしい。

頼信はこれを聞き、野久はすなわち箭弓(矢弓)の意で、武門の守護神であると奮い立ち、平忠常を撃退することができたそうな。そのとき、白狐に乗った神が弓矢を授けられる夢を見たとも言われているのですか。それ以来、野久稲荷は、箭弓稲荷と称されるようになったのですね。

こちらの神社の注目ポイントは、プロ野球をはじめとする野球関係者が多く参拝することで有名なこと。読み方がそのまま「やきゅう」ですからね。同じ埼玉県の埼玉西武ライオンズの選手が頻繁に訪れるそうで、「バット絵馬」「ベース絵馬」などもあるそうですよ。ただ、行った日は混んでいたので、そこまで頭が回りませんでした。

神社の隣にはぼたん園があります。

ここは、大正12年に東武東上線坂戸~東松山間の開通を記念して、東武鉄道の初代社長根津嘉一郎が牡丹などを奉納したことに始まるのだとか。3,500m2の園内には、約1300株の牡丹があり、毎年4月中旬頃には多くの人たちが訪れるそうですね。

箭弓稲荷神社の参拝者から親しまれるなんじゃもんじゃの木

箭弓稲荷神社前から国道を少し歩いた場所にあるのがなんじゃもんじゃと呼ばれる木。昔からいろいろな場所をほっつき歩いていると、結構さまざまな場所になんじゃもんじゃの木があるのがわかります。植物に疎い私は、なんじゃもんじゃという品種の木があるのかとずっと思っていました。

解説板にもありましたが、「なんじゃもんじゃ」の由来は見慣れない珍しい植物を便宜的に呼んだのが、いつの間にかその名になってしまったらしい。

この木も、いつ、誰が植えたのかわからなくて、明治、大正のころには町民や遠方から箭弓稲荷神社にお参りにきた人々から「なんじゃもんじゃの木」として親しまれてきたそうな。ただ、もちろんちゃんと品種がわかっていて、この木は和名を「イヌザクラ」というのですね。4月頃に白い小さな花を咲かせると書かれていました。

永嶋 信晴

永嶋 信晴ビジネス便利屋兼ウォーキングライター

投稿者の過去記事

東京生まれ。早稲田大学および日本大学卒業。地方銀行に約十年間勤務した後、各種業務代行会社を設立し独立。趣味はウォーキングで、各地の名所旧跡を歴史的、あるいはオヤジ的な見地から訪ね歩く。司馬遼太郎とBS旅番組のファン。著書は、「新規開拓営業の教科書」(青月社)、「ハッスル老健」(ゆまに書房」など多数。

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