河童と国宝の青森県八戸市「櫛引八幡宮」を訪ねよう

青森県八戸市にある「櫛引八幡宮」は、河童が本殿に彫刻されているとても珍しい神社です。そして二つの国宝がある国宝館が隣接しており、南部一之宮として長い歴史を持っています。鎌倉期からとされる歴史の中で、なぜこの神社に河童がいるのか、そして国宝があるのかにも触れていきます。

南部氏の長い歴史


南部氏は甲斐の国、今の山梨県南巨摩郡南部町から出ています。最初、青森県三戸郡三戸町に住みました。そして鎌倉時代から明治になるまで続いたのです。青森県が山梨県と古い昔に繋がっていたことは、地元青森でもあまり知られていません。

櫛引八幡宮の由来


櫛引八幡宮は南部氏の初代とされる南部光行が、甲斐の南部から八幡大明神を滝ノ沢村に勧請したことが起源とされます(諸説有り)。1222年、神託を受けたとして、四戸の櫛引村を社地と定めたのですが、それが現在地となっています。

岩手県北部から青森県の南部地方にかけて、戸が付く不思議な地名が残されています。中でも八戸市は有名ですが、一戸、二戸、三戸と続き、九戸まであるのです。なお、現在では四戸はありません。その理由は不吉と言われることがある四を外したという説があります。

なぜ河童がいるのか?


河童には面白い伝説があります。日光東照宮の眠り猫で有名な左甚五郎ですが、八幡宮造営にやって来ました。名人らしくない失敗をして間違って柱を切ってしまいます。使えなくなった柱を川に捨てようとするとこの柱が「やめてくれ」と言うのです。左甚五郎は「うるさい、ケツでも食らえ!」と言って川に投げ込んでしまいました。するとこれが河童となり、人や馬を襲うようになるのです。

河童はこの辺りでメドツと呼ばれていました。悪さをするメドツに村人は困り果てます。そして八幡様に何とかして欲しいと祈願をすると、突然鷹が飛んできて、メドツを捕まえたのです。

逃げようとするメドツですが鷹の強力な爪に押さえつけられ、頭部は禿げてしまったとされます。しかしながら、旧暦の七月七日から十日間だけは自由になれるので、新暦のお盆の頃は、暑くても水泳はしないように子供たちは教えられたのです。

神社の本殿の脇障子に河童と鷹が彫刻されているのは、神社の中でも珍しいものです。櫛引八幡宮では他にも河童を見られる場所があります。ぜひ、探してみましょう。

様々な神々


櫛引八幡宮の主祭神は八幡大神となっていますが、脇宮には神明宮(天照大神)、春日社(天津児屋根神)等があります。

国宝館で見る二つの鎧


櫛引八幡宮を出て、左側に国宝館があります。ここに白糸威褄取鎧と赤糸威鎧「菊一文字」の二つの国宝が展示されているのです。

白糸威褄取鎧は南北朝時代、南部家の分家の八戸根城南部氏の第七代当主・南部信光が第九十七代「後村上天皇」より拝領とされる南北時代の兜であり、赤糸威鎧「菊一文字」も南北朝時代ですが、第九十八代「長慶天皇」からの拝領とされます。

なお、こちらでは試着用の鎧を使って写真撮影を楽しむことが出来ますので、武将の雰囲気を楽しんでみて下さい。

最後に


いかがでしたか?南部の長い歴史を持つこの場所は、地域のパワースポットでもあります。「河童」と「国宝」があるとても珍しい神社の青森県八戸市「櫛引八幡宮」に足を運んでみませんか?

南部一之宮 櫛引八幡宮
http://www.kushihikihachimangu.com/

青森の夜行バス情報

東京発

東京着

大里康正

大里康正旅ライター・写真家

投稿者の過去記事

47都道府県を旅すること既に3周。さらに旅は継続中。複数のカメラを使い分けて、各地域での感動、美しさ、美味しさ、様々なことをお伝えしていきます。

PAGE TOP