癒しスポットと歴史スポット、サブカルチャーの聖地を巡る旅 東京都中野区を歩く

知る人ぞ知る中野の癒しスポット・禅定院と明治寺

今回も、東京都中野区を歩きます。西武新宿線沼袋駅の近くにあるのが、禅定院。

ここは解説板によると、南北朝時代の中期に開創されたとされるお寺。こちらのお寺の売りは、存在感あるイチョウの大木ですね。

樹齢600年を超える巨木ですが、このねぎぼうずのオブジェみたいなデザインがかっこいいと思いました。近くにある明治寺は、明治45年に明治天皇の病気平癒を祈るために建立されたのが始まりらしい。

こちらのお寺には、百観音公園があります。解説板によれば、百観音とは近畿一円の西国三十三か所と、関東地方の坂東三十三か所、それに秩父周辺の秩父三十四か所の札所、合わせて百か所の札所を総称したものらしい。それらの仏像の写しをお寺の境内に祀ったものだとか。

それで、それらの仏像の全てを拝み続けると、百観音札所のすべてをお参りするのと同じご利益が授かることになるそうなのですよ。これは頑張ろうと思ったのですが、さすがに百回も拝むのは大変で、途中で挫折してしまったのでした。

ただ、当初から観音像は増え続け、今は180体あまり祀られているそうですね。

充実した展示と無料がうれしい山崎記念中野区立歴史民俗資料館

百観音札所に後ろ髪を引かれながら、次に向かったのは、山崎記念中野区立歴史民俗資料館。「山崎記念」と人の名字が冠されているのは、この資料館は、1984年に名誉都民である山﨑喜作氏から資料館用地として土地2600平方メートルを寄付されたことを契機に開館されたからですか。

茅葺の民家をイメージしたシックな外観で、中野区の郷土文化の変遷を知ることができるのですよ。しかも、無料で入館できるのがうれしいですね。山崎さんに感謝しつつ、資料館の中に入ります。展示品で目に付いたのは、宝仙寺三重塔の復元模型。


宝仙寺は、中野坂上の駅近くの巨大寺院で、千年近くの歴史を誇る古刹です。 現在は、法起寺の三重塔を模した塔が再建されていましたが、古い三重塔は戦災で焼失してしまったらしい。寛永13年(1636年)に建立され、当時は江戸六塔の一つにもなっていたそうで、現在残っていたら重要文化財は確実だったでしょうね。

そして、このかご。

なんと、犬用のかごで、五代将軍・徳川綱吉の生類憐みの令の際、さかんに利用されたらしい。犬一頭を運ぶために、人間様が二人もかかりきりでかごを運ぶさまは滑稽かもしれませぬ。

ただ、当時は笑いごとではなかったようで、生き物をいじめて切腹や遠島になった人たちがいたのですね。綱吉は徳川将軍の中でも、学問に対する造詣はピカイチだったそうですが、現場を知らない学者さんタイプだったのでしょうか。もっとも、最近の研究では違った意見もあるようですが…。

それはともかく、ほかには昭和末まで使用されていたという旧家の台所をそっくり移した展示物などが興味深かったです。

行った日は、ひな祭りが近い時期だったので、さまざまなひな人形が展示されていました。

これらのひな人形は、江戸時代から続く「山崎家のひな人形」を中心に、明治時代から昭和20年代までのひな人形やひな道具の中に見られる調度品の数々。

昔は正直、ひな人形には興味がなかったのですが、平安時代の貴族文化という視点でながめると、服装やミニ調度品の数々が面白い。

こんな屋根のついたひな飾りは、古い建物ヲタクの想像をかきたてるのでした。

弥生時代には住宅地だった平和の森公園

中野区立歴史民俗資料館を出て住宅街をテクテク歩き、沼袋商店街に入ります。そこから、沼袋駅前の踏切を渡り、坂をずんずんあがっていくと、平和の森公園があります。

ここは昔、中野刑務所のあったところだとか。今は緑深い自然味豊かな公園へと変わったのですね。野球場やせせらぎの流れる水辺の広場、園内には弥生時代後期の住居も復元されています。なぜか、茅葺ではなくなぜかコンクリートの屋根でしたが…。

そういえば、さっき見た歴史民俗資料館の中で、平和の森公園周辺にかつてあった集落のジオラマを思い出します。弥生時代には、この場所にはこんな竪穴式住居が並んでいたのですか。

中野のイメージを一新する中野四季の都市(まち)地区

当時の中野の様子を見たいと思いつつ、平和公園通りを一直線に歩き、中野駅に向かいます。先ほど資料館でチェックしたのですが、中野駅前から区役所のあたりは、かつて「犬屋敷」があったところだそうな。犬神家の一族のような犬という名前のついた大金持ちではなく、本物の犬の屋敷が…。

前にも書きましたが、生類哀れみの令で有名な五大将軍綱吉が、江戸の市中で増えすぎた野犬を収容したのですな。犬小屋が乱立していたのかと思いきや、五つのお囲い御用屋敷が造られて、その敷地面積は100万平方メートルにも及んだらしい。何度か来たことのある場所ですが、景観は一変して広々とした公園になっていました。

歴史の教科書で習った事柄も、実際、現場に立ってその広さを実感すると、その極端な政策が個人の脳みそだけから作られたのだと思うと驚きます。この広い公園の一画が犬屋敷かと思いきや、当時はこの何十倍、東京ドーム20個分の敷地だったのですか。

それにしても、中野駅周辺が再開発されたのは知っていましたが、ここまで変わっているとは思いませんでしたね。この芝生が広がる公園は、中野四季の森公園というらしい。

この辺りはかつて、警察大学校があったそうですね。現在はその跡地を開発し、オフィスビルや大学、病院、マンションなどがきっちり計画されて配置されておりまする。ちなみに、ここは中野四季の都市(まち)地区と呼ばれているらしい。

地区の西側には、早稲田大学と明治大学、帝京平成大学の校舎が建ち並んでいました。

サブカルチャーの聖地と呼ばれる中野ブロードウェイ

個人的には、学生街はもっとごちゃごちゃしていたほうが好きですが、こんな未来都市みたいな場所で勉強すれば未来的な発想ができるのかもしれませぬ。だけど私はやっぱりこっちが落ち着きます…と、中野サンプラザのほうへ足を延ばします。ここはよく、アイドルグループのコンサートがあり、ビルの前にはファンの人たちが大勢集まっていることが多いのですが、行った日はひっそりとしていました。

十代の少女のグループのコンサートのときは、若い男性ばかりでなく、オヤジの集まっていて元気をもらえるのですが今日はちょっと残念。

それでは…と、サブカルチャーの聖地と呼ばれる中野ブロードウェイへ。ここは、正式にはコープ・ブロードウェイ・センターというらしい。低層階はショッピングセンター、中・高層階は集合住宅の複合ビルなのですな。

中野ブロードウェイを代表する店舗といえば、まんだらけでしょうか。当初は、古漫画専門店だったそうですが、その後、原作者のサインや漫画のグッズ、セル画、ミニカー、ドールなどに販売品目を拡大していったのだとか。

今では、上記の商品を扱う他店舗も数多く出店しているところが、サブカルチャーの聖地と呼ばれる所以なのですね。

ここは、若者だけでなくオヤジたちにとってもノスタルジックな魅力に浸れる場所。鉄人28号や鉄腕アトム、エイトマンなど、子供の頃のヒーローたちのさまざまなグッズが店頭に並べられているのですよ。どれも目の玉が飛び出るような値段でしたが、当時のヒーローたちが評価されているようでなぜかうれしく感じてしまうのでした。

永嶋 信晴

永嶋 信晴ビジネス便利屋兼ウォーキングライター

投稿者の過去記事

東京生まれ。早稲田大学および日本大学卒業。地方銀行に約十年間勤務した後、各種業務代行会社を設立し独立。趣味はウォーキングで、各地の名所旧跡を歴史的、あるいはオヤジ的な見地から訪ね歩く。司馬遼太郎とBS旅番組のファン。著書は、「新規開拓営業の教科書」(青月社)、「ハッスル老健」(ゆまに書房」など多数。

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