世界遺産の奈良・吉野山!日本の桜の代名詞

天皇が住んでいた山

奈良県の中部、吉野町にある吉野山は、古くから霊峰として知られていました。現在では和歌山県から吉野山を通り三重県まで続く山地が「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されていますが、かつては激しい政争の場でもありました。

飛鳥時代の671年、天智天皇の弟だった大海人皇子が、兄に忠誠を誓うふりをして出家し、吉野山にこもりました。しかし天智天皇が亡くなると翌672年に謀反を起こし、吉野山から出兵して跡継ぎだった天智天皇の息子である大友皇子を倒して、自らが天武天皇となって政権を握りました。これが壬申の乱です。

時代は下って鎌倉時代、1333年に後醍醐天皇が武家政権の鎌倉幕府を倒し天皇中心の新たな政治を行いますが(建武の新政)、公家ばかり重宝する政策に武士たちは不満を抱き、味方だったはずの足利尊氏が後醍醐天皇に対して反旗を翻します。1336年、勝った尊氏が京都に新たな天皇を擁立したため、敗れた後醍醐天皇は吉野山に逃れ、ここに朝廷を開きます。これが南北朝時代の始まりです。つまり、この時代は天皇が二人いたわけですね。ここから56年間、吉野山には一方の天皇が住み続けていました。

今では平和そのものの吉野山ですが、かつては血生臭い抗争があったのですね。歴史の転換期となった場所が吉野山なのです。

桜の象徴・吉野山

小難しい歴史の話はこれぐらいにして、吉野山の桜についてお話しましょう。吉野山には平安時代後期に桜が植えられていたと言われています。山の多くを桜が覆い、その規模はおそらく日本一でしょう。もちろん「日本さくら名所100選」にも選ばれています。

日本で一番多い桜の品種はソメイヨシノですが、その名前の由来が吉野山から来ていることは誰でもわかるでしょう。しかし、吉野山を覆う多くの桜はシロヤマザクラなのです。その数は約3万本にも及ぶという、圧巻の桜の山です。

吉野山の桜は、麓から山頂にかけて下千本、中千本、上千本、奥千本と分かれており、場所によって開花時期が違います。当然、麓の方が開花は早く、山頂に行くにしたがって開花は遅くなります。

例年では、下千本の満開は四月初旬、中千本は四月初旬~中旬、上千本は四月中旬、奥千本は四月中旬~下旬、といったところでしょうか。

吉野山へご案内

ここからは、画像を中心に春の吉野山へご案内しましょう。アクセスは、近鉄南大阪線の大阪阿部野橋駅から吉野行き特急に乗って約1時間15分で終点の吉野駅に着きます(特急料金必要)。特急料金のいらない急行利用の場合は約1時間半。京都や奈良方面からお越しの場合でも近鉄利用で、橿原神宮前駅で特急もしくは急行に乗り換えます。いずれにしても、吉野駅から吉野山への旅がスタートします。

まずは、下千本を見るために、吉野駅からすぐ近くのロープウェイ・千本口駅へ。ただし、歩いて登っても下千本は見られます。また、下千本の満開時期が過ぎた場合は、バスを利用していきなり中千本より上に行くという手もあります。

ロープウェイで下千本がある吉野山駅へ

ロープウェイから見た風景

ロープウェイの終点、吉野山駅に着くと、中千本に続く道路が続いており、多くの店が連なっていて大変な賑わいです。春の季節には、この道路は歩行者天国になっています。

多くの人で賑わう道。商店も連なる

中千本へ行く途中にある、世界遺産の金峯山寺・蔵王堂

金峯山寺から見た、下千本の桜

やがて、中千本に着きました。起伏が激しい道を登って行くと、絶景ポイントがあります。茶屋があり、広場があり、ここで絶景の桜を見ると、今まで歩いてきた疲れが吹き飛びます。中千本の桜をじっくりとご覧ください。

中千本の桜

この日は上千本や奥千本はまだ開花してなかったので、ここで吉野山の旅は終了。下千本に向かって降りて行きました。

帰りは下り坂なので、ロープウェイは使わずに七曲坂を歩いて降りました。歩きながら見る下千本も、また絶景です。もちろん、下りにロープウェイを利用する人も多くいました。

七曲坂から見た下千本

吉野山の注意点

いかがでしょうか、吉野山を堪能していただけましたか?吉野山の桜は山の中なので、都会での花見とは違い、当然バーベキューなどはご法度です。

そのかわり、お弁当を食べることができる広場はあるし、お茶屋によっては弁当持ち込みOKの店もあります。ただし、その場合は飲み物だけでも買ってあげてください。

また、車で来られる方は駐車場もありますが、歩行者天国などの交通規制もあるので却って不便かも知れません。それに、桜を楽しもうと思えば、どちらにしても山道を歩くことになります。

吉野山の桜を楽しみたい方は、歩きやすい靴や服装で来た方がいいでしょう。

安威川敏樹

安威川敏樹スポーツを中心とするライター

投稿者の過去記事

大阪府在住。作業関連機器の設計から、スポーツを中心としたライター・コラムニストに転身。野球雑誌等に寄稿の他、電子本に野球小説を執筆。野球の独立リーグでの公式記録員の経験あり。野球以外では、ラグビー雑誌にも寄稿。モットーは「文字をオモチャにして遊ぶ」。

PAGE TOP