土方歳三の生家とゆかりの場所、菩提寺・高幡不動を巡る旅 東京都日野市

ハイカラなお屋敷にある土方歳三資料館

新選組・日野シリーズの最終回は、いよいよ真打ち、土方歳三さまの登場。これから生家跡へ訪問させていただきますよ。

日野市役所から日野バイパスへ出て、ひたすら国立方面に向けて歩き、目の前に多摩都市モノレールの高架が見えたところで右折。しばらく住宅街を歩くと、門の横に解説板が立っているお屋敷がありました。

ここが土方歳三資料館であるとともに、歳さんの生家跡。歳さんが青春時代を過ごした実家だったのですが、私が30年近く前に来たときとは、まわりの景色はもちろん家も様変わりしています。やはり30年経つと、こんなに変わるんですね~。

うろ覚えですが、当時は田んぼや畑があって、近郊の農村といった感じでした。今はお洒落な住宅街。すぐそばを多摩モノレールの高架が走っていて、スーパーやファストフードのお店も建ち並ぶ。

昔のこの辺りを知っている私としては、より歳さんが暮らした石田村に近い景観を見たことがあるぞ~、うひひひ、うらやましいだろ~と自慢したい気分になりました。当時、立派ではあったものの、トタン屋根の崩れそうな家屋だった歳さんの実家も、ハイカラなお屋敷に変貌を遂げている。

もっとも、以前の崩れかけたような家屋よりは今のお屋敷のほうが、あの写真に写っている歳さんのイメージに結びつくというのが変な感じですが…。

土方歳三資料館は、こちらも子孫の人たちが経営しているようで、月一回、第三日曜日だけの開館なので行った日は休館日でした。歳さんの愛刀、和泉守兼定や書簡、池田屋事件で使用したと伝わる鎖帷子、鉢金、榎本武揚の書、歳さんも行商をした土方家家伝薬である石田散薬にまつわる資料などを保管しているらしいですよ。

昔からイケメンぶりが評判だった土方歳三

それにしても、歳さんの肖像写真を見ると、江戸時代を生きた人とは思えないくらい現代的な顔立ちの美男子と思えます。当時の人たちからも、「眉目清秀ニシテ頗ル美男子タリ」と言われていたそうな。五尺五寸で、身長は当時としては長身の168センチ。すらりとして、色も白く、一見商人風で鬼の副長と恐れられていたとは思えない。そのギャップが人気の一つなのでしょうね。

うぬぬ、写真をよく見ると、ウッチャンナンチャンのウッチャンにも似ているぞ、とか、いや、狩人の弟のほうにクリソツじゃとか、嫉妬心が湧き上がる今日この頃。個人的には、栗塚旭の土方歳三の、口下手で無骨だけど、ちょっとやさしくてかっこいいイメージが好きなのです。司馬遼太郎の「燃えよ剣」のイメージにぴったりで…。

ただ、歳さんは昔、薬の行商をやったりして一見商人風の愛想のよさもあったのではないか。営業をやると、人格に劇的な変化が現れますからね。

私も営業をやっていたから経験があるのですが、栗塚旭版土方歳三のキャラクター設定では行商はできなかったかも。ノルマ達成は、できなかっただろうといいますか。その点では、山本耕史版土方歳三のほうが、より実際の土方歳三に近かったのかな、という気はしています。

石田地区は、土方家がたくさん

それはともかく、この辺りの家は土方さんと書かれた表札が目につきます。歳さんの実家あとの隣にある立派な長屋門のお宅も、土方さんという表札が掛かっていました。土方家は、この土地の大百姓だったというのも頷けますね。

そこからほど近い浅川の堤防の道を歩きます。

左手に見える、こんもりと緑に包まれた丘。あれはどうみても、城跡でしょうとあたりをつけたら、案の定、高幡城址なのでした。

川と丘がコラボであると、城跡を疑ってみたくなります。丘の麓には高幡不動があるので、あとで行ってみようと足を速めました。

多摩都市モノレールの下をくぐり、道なりに歩いてゆくと、住宅街の中に小さな社を取り囲むように大木が数本ある場所に出ました。

ここは、「とうかんの森」と言って、土方家の氏神として祀られた稲荷神社の跡なのだとか。

この近くにはかつて歳さんの生家、土方家があったのですね。浅川と多摩川の合流地点に近く、この場所はたびたび大雨の被害に見舞われ、天保十一年の洪水で歳さんの生家は流されてしまったらしい。それで、先ほどの場所に引っ越したのですな。

近くに浅川水再生センターであり、施設の中にある遊歩道をしばらく歩いて石田寺に到着。

ここは古くからこの土地に暮らしていた土方家の墓所であり、土方歳三顕彰碑がありました。

確かに墓地に並んでいるお墓は、「土方家」のものばかり。境内にそびえる樹齢400年と言われるカヤの大木は高さ20メートルもあるらしい。当然、歳さんもこの木を眺めて少年時代を過ごしたのでしょうね。

石田寺から高幡不動へは浅川のほとりを歩きました。この河原に生えていた「牛革草」という野草を、土用の丑の日に石田村の村民が総出で採り、散薬にしたものが歳さんの生家に伝わる打ち身薬「石田散薬」なのですね。

この河原で、若い日の歳さんが村人たちをまとめて、草を総出で刈っている姿が目に見えるようでした。

土方歳三の菩提寺は、関東三不動の一つ高幡不動

そして最後に向かったのが高幡不動。土方歳三の菩提寺で、関東三不動の一つにも挙げられる古刹ですね。

室町時代に作られたという仁王門は重要文化財。

不動堂も室町時代に作られた重要文化財で、当初山中に建立されたが、1335年に大風で倒壊したので、現在地に移築したらしい。ちなみに、東京都随一の古文化財建造物だとか。

その後ろの奥殿には、平安時代に作られたという御本尊の木造不動明王及び二童子像が安置されておりまする。古来日本一の不動三尊と言われており、圧巻の迫力が感じられましたね。

そして境内には、土方歳三の銅像。

こちらはまたすこぶるイケメンですな。若い頃の栗塚旭と山本耕史を足して2で割ったような。佐藤彦五郎たちが建てた殉節両雄の碑もありましたよ。

お寺のシンボルとなっているのが、五重塔。

新しく作られたものですが、平安初期の様式で建てられたそうですね。高さは約45メートル。

行った日は風が強かったのですよ。塔の近くへ行くと、カラン、カランと金属が触れ合う風情のある音が…。風鈴の音とも違い、どちらかというと銅鐸の音に似ていなくもない。

あとで調べてみたら、これは風鐸(ふうたく)と呼び、塔の屋根の四隅にぶら下げられているもの。昔から風鐸の音が聞こえる範囲は、魔を寄せ付けない効力があると信じられているそうな。

八十八カ所巡拝コースになっている高幡城址

高幡不動の後ろの山は、八十八カ所巡拝コースになっているそうなので行ってみることにしました。結構、急な坂で息が切れまする。

それもそのはずで、この山は高幡城跡でもあるのですね。ここへは3~4回来たことがありますが、これまでは城跡というイメージはあまり感じませんでした。あれからかなり城跡ウォーキングのスキルが上がっていますからね。どんな痕跡を発見できるかも楽しみのひとつ。

ここなんか、当時は深い空堀があったのではないか。近くの崖には竪堀の後と思しき凹みも発見。

本郭と思われる一番高いスペースはそれほど広くはないけれど、見晴らしがよく周りを取り囲む崖の急峻さもグッドですな。何とか、当時の高幡城の姿をイメージできるだけでも、その後の学習の効果を実感しましたね。勝手に思い込んでいるだけかもしれませんが…。

土塁や空堀のあとも推定するしかなかったですが、新選組とお城がコラボで見られたのは一粒で二度おいしいウォーキングコースでした。

永嶋 信晴

永嶋 信晴ビジネス便利屋兼ウォーキングライター

投稿者の過去記事

東京生まれ。早稲田大学および日本大学卒業。地方銀行に約十年間勤務した後、各種業務代行会社を設立し独立。趣味はウォーキングで、各地の名所旧跡を歴史的、あるいはオヤジ的な見地から訪ね歩く。司馬遼太郎とBS旅番組のファン。著書は、「新規開拓営業の教科書」(青月社)、「ハッスル老健」(ゆまに書房」など多数。

PAGE TOP