邪馬台国論争に終止符か!?畿内・奈良の纏向遺跡

邪馬台国がどこにあったのか、何故わからないのか?

日本史最大のミステリーといえば、邪馬台国の所在地だと言っても過言ではないでしょう。邪馬台国は弥生時代後期の2~3世紀頃に実在したらしいということはわかっていますが、どこにあったのかはまだ結論付いていません。なぜでしょうか。

邪馬台国のことは当時の中国の史書「魏志倭人伝」に載っていますが、場所に関して調べてみると日本列島の遥か南、太平洋上になってしまいます。そこで、距離が間違っていたのではないかという北九州説と、方角を誤っていたのだろうとする畿内説が浮かび上がったのです。

北九州説は、北部九州にいくつか「クニ」があって、その中の一つが邪馬台国であり、全ての行程を繋ぎ合わせると距離的にも辻褄が合う、というものです。

一方の畿内説は、当時の中国では、日本列島はずっと南に延びていると考えられており、その方角を東に当てはめたら、ちょうど今の奈良県内に邪馬台国があった、となるのです。

しかし近年、遺跡の年代特定が科学的に進歩し、畿内説が有力になってきました。そして、邪馬台国があったのは奈良県北中部の桜井市付近にある纏向(まきむく)遺跡ではないか、と言われるようになったのです。

纏向遺跡の周辺。ここに邪馬台国があった?

卑弥呼の墓?

邪馬台国の女王といえば卑弥呼です。纏向遺跡には箸墓(はしはか)古墳という前方後円墳がありますが、それが卑弥呼の墓ではないかと言われています。「大市墓」とも呼ばれており、宮内庁では7代天皇である考霊天皇の皇女である倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓に指定されていますが、考霊天皇の実在そのものが疑問視されており、卑弥呼の墓であっても不思議ではありません。

卑弥呼の墓?の箸墓古墳

さらに、箸墓古墳から北西の方向へ行くと纏向勝山古墳があります。この古墳は、卑弥呼の父親の墓ではないか、という説があります。真意のほどはわかりませんが、纏向遺跡付近に邪馬台国があったとしたら、充分に有り得る話です。

卑弥呼の父親の墓?纏向勝山古墳

なお、纏向勝山古墳のすぐ近くには、纏向石塚古墳纏向矢塚古墳があります。箸墓古墳を含め、これら纏向遺跡付近にある古墳を総称して纏向古墳群と言います。JR桜井線(万葉まほろば線)の巻向駅近くにあるので、邪馬台国跡?を散策すれば、卑弥呼が生きていた時代のロマンを感じること請け合いです。

初代天皇?の崇神天皇

卑弥呼の死後、しばらくすると中国の史書から突如、邪馬台国や日本列島に関する記述が消えてしまいます。当時の日本には文字文化が無かったので、それからどうなったのかはわかりません。

そして4世紀頃、奈良県北中部辺りにヤマト王権(原大和国家)が誕生したと考えられています。ヤマト王権が天皇を中心とする強力な国家・大和朝廷の元になったのは間違いないでしょう。しかし、そのことに関する記述が全くないので「空白の4世紀」と呼ばれています。

箸墓古墳の近くを通っている国道169号線を車で北上して天理市に入ると、すぐに崇神天皇陵が右側に見えてきます。初代天皇は神武天皇とされてますが、その実在性は否定されています。崇神天皇は10代天皇ですが、崇神天皇こそが実在した最初の天皇ではないか、というのが有力な説です。つまり、実際には崇神天皇が初代天皇というわけです。

箸墓古墳が卑弥呼の墓だとすれば、その近くに初代天皇である崇神天皇の墓がある、というのは実に興味深い話です。つまり、邪馬台国がヤマト王権に繋がった可能性が高くなる、ということです。

なお、崇神天皇陵は巻向駅から北へ1駅、柳本駅のすぐ近くです。無料駐車場もあります。

事実上、初代天皇?の墓・崇神天皇陵

もっとも、北九州説を支持する人たちは、なおも異議を唱えるでしょう。邪馬台国=畿内と結論付けるにはまだまだ謎が多くあり、議論は続きそうです。

桜井市立埋蔵文化財センター

纏向遺跡についてもっと詳しく知りたい方は、桜井市立埋蔵文化財センターに行ってみるといいでしょう。ここには旧石器時代から縄文時代、奈良時代に至るまで数々の遺跡が展示されています。ただし、確証がないせいか邪馬台国には触れられていません。

最寄り駅は、巻向駅から南へ1駅の三輪駅です。入館料は大人200円、小人100円となっています。小規模ながら無料駐車場もあります。

桜井市立埋蔵文化財センター

邪馬台国があったかも知れない場所を、歴史のロマンを感じながら散歩してみてはいかがですか?

安威川敏樹

安威川敏樹スポーツを中心とするライター

投稿者の過去記事

大阪府在住。作業関連機器の設計から、スポーツを中心としたライター・コラムニストに転身。野球雑誌等に寄稿の他、電子本に野球小説を執筆。野球の独立リーグでの公式記録員の経験あり。野球以外では、ラグビー雑誌にも寄稿。モットーは「文字をオモチャにして遊ぶ」。

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