歴史はここから始まった!高校野球発祥の地・豊中グラウンド跡地

高校野球が始まって1世紀

夏の高校野球の季節がやって来ました。今年(2016年)は全国高等学校野球選手権大会が始まって101年目となります。つまり、去年がちょうど100年目、即ち1世紀が経ったわけですね。

今年は98回大会となりますが、なぜ101年目なのに数字が合わないのでしょうか。それは、戦争による中断があったからです。いずれにしても、今年もまた阪神甲子園球場で熱い闘いが繰り広げられるでしょう。

高校野球の全国大会が行われる阪神甲子園球場

第1回大会の頃には、まだ無かった甲子園

夏の高校野球の第1回大会は1915年(大正4年)に始まりました。ただし、当時は現在と学制が違っていたので中等野球と呼ばれ、正式名称は全国中等学校優勝野球大会だったのです。

しかも、その頃はまだ甲子園球場は影も形もありませんでした。もちろん、現在は甲子園を本拠地とする阪神タイガースもありません。というより、プロ野球自体が無かったのです。

第1回大会が行われたのは、大阪府の北西部、現在の豊中市にあった豊中グラウンドです。ここで高校野球が産声を上げ、現在まで続く隆盛の礎となったのです。

今でもここには高校野球発祥の地として、高校野球メモリアルパークがあります。

高校野球メモリアルパークにある、高校野球発祥の地のレリーフ

ビックリ仰天の第1回大会

第1回大会は、全国の参加校が僅か73校でした。今年の参加校が3874校ですから、その1/50以下です。73校から全国の地方大会を勝ち抜いた10校(現在の夏の甲子園出場校は49校)が豊中グラウンドに集い、初めての全国大会が行われたのです。

記念すべき第1試合は、現在と同じように始球式で始まりました。マウンドに立つのは主催の朝日新聞社の村山龍平社長です。

村山社長はよほど投球練習をしたのでしょう。投げたボールは見事キャッチャー・ミットに収まり、審判は「ストライク!」とコールしました。

始球式が終わり、第一試合が始まると、一番打者はなんと0ボール1ストライクから始まったのです。つまり、村山社長の始球式までが試合に組み込まれてしまいました。しかも、一番打者は三振に打ち取られたのです。当時はおおらかな時代だったのですね。

高校野球メモリアルパークに飾られている、村山社長による始球式のレリーフ

短命に終わった豊中グラウンド

中等野球は第2回大会まで豊中グラウンドで行われました。逆に言えば、僅か2回でその使命を終えたのです。

原因は、グラウンドのあまりのお粗末さにありました。グラウンドは狭く、しかも外野フェンスも無くて縄が1本張っているだけで、整備も全くされておらず草ぼうぼうの状態でした。

ボールが外野を転々とすれば、草むらでボールが隠れてしまい、しかもヘビやカエルが飛び出して来て外野手がビックリしている間にホームランになってしまった、というエピソードがあります。ちなみにこれが、高校野球第1号ホームランでした。

高校野球メモリアルパークにある、当時の豊中グラウンドの図面

さらに、観客席も400人程度と、高まってきた中等野球人気に対処できませんでした。また、豊中グラウンドは阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道の沿線にありましたが、現在の豪華な阪急電車と違い、当時は単線で1両編成、とても大勢の客をさばき切れなかったのです。夕方に試合が終わっても、最終の客を乗せて行ったのは午後9時という有様でした。

そこで豊中グラウンドの使用を諦め、大勢の乗車客に慣れている阪神電気鉄道に目を付けて、1917年(大正6年)の第3回大会から兵庫県の鳴尾球場で行われるようになったのです。箕面有馬電軌にとって、ライバルの阪神電鉄に中等野球を奪われたのは悔しかったでしょう。

豊中グラウンドは、中等野球が去った1918年(大正7年)年から日本フートボール優勝大会(現在の高校サッカーと高校ラグビーの前身)の会場となりましたが、その4年後、中等野球が始まった僅か7年後の1922年(大正11年)に閉鎖されました。

甲子園と並ぶ聖地「花園」、東大阪市花園ラグビー場で行われる高校ラグビーも、元々は豊中グラウンドで始まった大会だった

豊中グラウンド跡地へ行くには?

豊中グラウンド跡地へは、阪急宝塚線の豊中駅が最寄り駅となります。ただし、メモリアルパークと言っても非常に狭い一角なので、見つけるのは困難かも知れません。豊中周辺をノンビリ散歩するつもりで行ってください。場所は、豊中駅から西へ500mほど行った所です。

夏の甲子園へ行った際には、高校野球発祥の地を散策してみればいかがでしょうか。

 

安威川敏樹

安威川敏樹スポーツを中心とするライター

投稿者の過去記事

大阪府在住。作業関連機器の設計から、スポーツを中心としたライター・コラムニストに転身。野球雑誌等に寄稿の他、電子本に野球小説を執筆。野球の独立リーグでの公式記録員の経験あり。野球以外では、ラグビー雑誌にも寄稿。モットーは「文字をオモチャにして遊ぶ」。

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