夏の甲子園が待ちきれない!齢92歳となった聖地~前編

誕生日・8月1日

夏の高校野球の49代表校が全て出揃いました。今年(2016年)で第98回となる全国高等学校野球選手権大会は、日本で最も歴史が古いスポーツ大会といっても過言ではありません。

その舞台となる阪神甲子園球場は、今年の8月1日で92歳となりました。年齢数より大会数の方が多いということは、甲子園が完成する前に大会は既に始まっていたということです。

夏の高校野球の第1回大会は1915年(大正4年)に豊中グラウンドで始まり(当時の名称は全国中等学校優勝野球大会=中等野球)、第3回大会から鳴尾球場に場所を移しました。このことは以前に書きましたので、それぞれのリンクをクリックしてください。

2016年8月1日で92歳となった阪神甲子園球場

キツネやタヌキの棲家に新球場建設

第9回大会まで鳴尾球場で行われていましたが、球場が手狭になったので中等野球人気に対応できる本格的な新球場を造ることを決定しました。それも、アメリカのメジャー・リーグ球場にも負けない、東洋一の大球場です。

そこで阪神電気鉄道は、兵庫県鳴尾村(現:西宮市)にあった鳴尾球場より北側の土地を買い取りました。度々氾濫を起こしていた枝川と申川が廃川になることが決定していたので、その跡地に新球場を建設しようとしたのです。都市化された現在と違い、当時はキツネやタヌキが住む雑木林でした。

起工したのは1924年(大正13年)3月16日。第10回大会の開幕日は8月13日ですから、猶予はたった5ヵ月足らずです。しかも、当時はブルドーザーなど無い時代。牛を使ってローラーを引かせ、昼夜問わずの突貫工事が続けられました。

幸いだったのは、川の跡地だったことでした。コンクリートの材料となる、砂やジャリはタップリあります。そのため、工事は順調に進みました。

元々はキツネやタヌキの棲家で、川の跡地だった現在の甲子園周辺。川の跡は道路になっている

驚天動地の大球場

こうして8月1日、無事に竣工しました。第10回大会に間に合ったのです。しかし、あまりの球場の大きさに人々はビックリしました。何しろ、当時の日本にはまだ本格的な野球場なんて無かったのです。

数千人しか収容できなかった鳴尾球場と違い、新球場は内野席が鉄筋コンクリートの50段、外野席は土盛りで合計5万人収容の大スタンド。東洋一の大球場という看板に偽りなし、でした。

そのグラウンドたるや、両翼110m、中堅119m、左右中間128mというアメリカにも類を見ない広さ。後に、この球場でプレーしたベーブ・ルースが「トゥー・ラージ(デカすぎる)」と言ったほどです。ましてや、豊中グラウンドや鳴尾球場などの狭い球場しか見たことのない日本人が驚くのも無理はないでしょう。

ベーブ・ルースも驚いた、完成当時の甲子園球場

戦後の甲子園球場。上の写真と見比べてほしい

”甲子園”の由来

新球場が誕生したのは、前述のとおり1924年でした。この年は、中国・十干の最初の年である「甲(きのえ)」と、十二支の最初の年「子(ね・ねずみ)」でした。いわゆる「甲子(きのえね)」です。60年に1度しかない、干支における最初の年に巡り合ったのは縁起が良いとして「甲子園」と名付けられたのでした。

現在、甲子園球場の周りは、地名が「甲子園」となっていますが、元々の地名が甲子園だったのではなく、甲子園球場があるから甲子園という地名になったのです。ある意味、トヨタ自動車がある豊田市(愛知県)のようなもので、企業城下町ならぬ球場城下町と言えるかも知れません。

完成当初の正式名称は「甲子園大運動場」でした。つまり、野球場に留まらず、多目的のスタジアムだったのです。外野が異様に広いのは、ここでラグビーやサッカーを行うためでした。実際に、「冬の花園」でお馴染みの高校ラグビーや、正月の風物詩である高校サッカーの前身・日本フットボール優勝大会が甲子園で行われています。

「甲子園」の由来は「甲子(きのえね)」の年

大会4日目で超満員

大会関係者の不安は、スタンドが大きすぎることでした。鳴尾球場なら数千人入っただけで超満員となり、活気があるように見えますが、5万人収容の大スタンドならたとえ1万人入ってもガラガラで寂しいからです。

しかし、この心配は杞憂に終わりました。大会4日目、地元の有力校が登場するとあって続々と観衆が集まり、完成後10年は出ないだろうと思われた満員札止め通知が出されたのです。

この隆盛は、戦後に高校野球と名前を変え、21世紀になった現在でもまだ続いています。

(つづく)

夏の高校野球、満員となった現在の甲子園球場

安威川敏樹

安威川敏樹スポーツを中心とするライター

投稿者の過去記事

大阪府在住。作業関連機器の設計から、スポーツを中心としたライター・コラムニストに転身。野球雑誌等に寄稿の他、電子本に野球小説を執筆。野球の独立リーグでの公式記録員の経験あり。野球以外では、ラグビー雑誌にも寄稿。モットーは「文字をオモチャにして遊ぶ」。

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