世界的建築家の作品、美術コレクション、ベストセラー小説、俳句作品の見どころが満載! 東京都文京区の芸術散歩

世界的建築家が設計した東京カテドラルマリア大聖堂

今回も、東京都文京区を歩きます。鳩山会館を出て目の前の音羽通りを渡り、首都高速道路の高架の下をくぐります。右手に関口台公園を見ながら急な坂を登り、目白通りにぶつかると巨大な建築物が目に飛び込んで来ます。

これは、東京カテドラルマリア大聖堂。カトリック関口教会の建物で、カテドラルとは司教座聖堂、つまり教区を代表する聖堂ということらしい。

それにしても、教会とは思えない斬新なフォルムですな。でも、真上から見ると巨大な「十字架」に見えるらしい。外壁や屋根が光り輝いているのは、ステンレス鋼板仕上げだからですか。

この大聖堂の設計を手掛けたのは、国立代々木競技場や東京都庁舎などで知られる世界的な建築家・故丹下健三氏。そう言われてみると、このデザインも納得ですね。1964年に建設され、延床面積は3,650m²もあるらしい。

大聖堂の隣に立つ鐘塔は高さ62メートルもあるのだとか。こちらも、教会の鐘塔のデザインとしては斬新ですが、大聖堂とコラボの景観は秀逸。鐘も、縦に四つ並んでいるところが面白い。ちなみにこの鐘は、西ドイツから輸入したのだとか。

外側がこれらの特徴的なデザインなら是非内部も見学したいと思いますよね。それが、一般の人も無料で見学できるのですよ。中に入ると、非日常の大空間を満喫することができました。内部の壁がコンクリートの打ちっぱなしで、薄暗く、しんと静まり返っておりまする。休日でしたが、数百人が入る広大なスペースに3人しかいませんでした。

正面の祭壇とその奥に見えるのは、高さ17メートルの大十字架。私はキリスト教徒ではありませんが、荘厳な雰囲気に包まれ、思わずお祈りを捧げたくなってきますね。後ろを振り返ると、二階に据え付けられた巨大で重厚感のあるパイプオルガンが目に留まります。

残念ながら内部の撮影は禁止なので、この荘厳な雰囲気を体感したい方は訪れてみてはいかがでしょうか。

大聖堂から外へ出ると、駐車場の先に洞窟があるのが見えました。

高いところへ上るのと同様、洞窟に入るのも好きなので、吸い寄せられるように向かいます。この洞窟の形はどこかで見たことがあると思ったら、フランスの巡礼地として有名なルルドの洞窟を模して作られたものらしい。そういえば、以前、テレビの旅番組で見ましたね。

解説板によると、1858年、フランスのルルドに住む少女の前に聖母マリアが現れということで、町中が大騒ぎになったとのこと。その後、少女がマリアから掘るようにと言われた場所を掘ってみると、そこからは泉がわき出し、それを飲んだ病人が次々に治るという奇跡が起きた。それが、このルルドの泉が出た洞窟ですか。

大きさや色など、本家の泉を忠実に再現したそうですが、確かにこの洞窟から湧き出した水は万病に効きそうですな。

名門出版社の社長が集めたコレクションが魅力の野間記念館

東京カテドラルマリア大聖堂と目白通りを挟んではす向かいにあるのが、講談社野間記念館。

ここは、講談社の初代社長野間清治が、大正期から昭和初期にかけて収集した「野間コレクション」と呼ばれる美術品を中心に展示している美術館ですな。2000年4月に設立されたそうで、展示品は、日本画・洋画・彫刻・陶器・刀剣・刀装具など多岐にわたっているらしい。

ほかにも、母体の出版社の出版事業にかかわった出版文化資料や多くの画家に依頼して描いてもらった5000点を超える色紙なども収蔵しているそうですね。

ここは以前来たことがあるので、今回はパスしました。小ぶりですが、内装もおしゃれで、庭園を見ながらゆっくり休めるコーナーもありますので、時間のある方は是非。

大ベストセラーの舞台になった寮がある

目白通り沿いに立つ野間記念館の横の道を歩き、神田川方面に向かいます。その道沿いにあるのが、和敬塾。

ここは、昭和30年創設の男子大学生・大学院生向けの学生寮ですね。約7,000坪の敷地に、6つの寮があり、さまざまの大学の学生や留学生が暮らしているらしい。もちろん観光スポットではなく、内部の見学はできませんので念のため。

ではなぜ、ご紹介するのかと言うと、ここはノーベル賞候補作家の代表作の舞台になったところだから。『ノルウェイの森』を読むと、主人公の大学生がここで暮らしているシーンが登場します。実は、村上春樹も少しの間、ここで暮らしたことがあったらしい。寮の生活が肌に合わず、大学一年の春から秋までしかいなかったそうですが…。

それでも、小説の中では生き生きとここでの暮らしの様子が描かれていますから、かなりの影響は受けたのかもしれませぬ。

けわしい胸突坂には文化スポットがいっぱい

和敬塾の建物を右手に見ながら歩いて行くと、道は徐々に下り坂に…。右手に、緑あふれる森が現れ、その入り口には「永青文庫」の文字がありました。

文庫とは書かれていますが、こちらも美術館なのですね。肥後熊本54万石のお殿様、細川家伝来の美術品や歴史資料、細川家の当主が集めたコレクションなどを展示・研究しているのだとか。

細川家と言えば、最近総理大臣を務めた細川護煕氏で知られますが、鎌倉時代から江戸時代にかけても歴史の教科書に度々登場する名家。室町時代の三管領・四職の家柄と戦国時代到来のきっかけとなった応仁の乱で東軍の総帥を務めた細川勝元が有名ですね。所蔵する国宝8点は刀や鞍、重要文化財32点は絵画や武具、書跡が多いことからも、その由緒ある歴史が伺えます。

パッと見では美術館に見えませんが、建物は昭和時代初期に細川家の事務所として建てられたものらしい。一見、地味に見える建物の中に、とんでもないお宝が眠っているのですな。

永青文庫を出ると、道はますます急こう配に…。

実は、ここは胸突坂といって、自分の胸を突くようにしなければ登れないことから名づけられたらしい。もっとも、高台から来たので、私は階段を降りるだけでしたが…。

そして坂の途中にあるのが、水神社。神田上水の守護神として祀られたそうですが、境内には二本のイチョウの古木が存在感を持って聳え立っておりました。

現場監督?時代の松尾芭蕉が暮らした関口芭蕉庵

胸突坂の隣にあるのが関口芭蕉庵。

この場所は、俳人・松尾芭蕉が、神田上水の改修工事に携わっていた1677年から約3年間住んだらしい。当時、旧主筋の藤堂家が神田上水の改修工事を行う際、この付近の水番屋に住んで、現場監督みたいな仕事をしていたのですか。

松尾芭蕉は忍者だという説もあるそうですが、土木技術のスキルを持っていたのは知りませんでした。最初は、俳句の師匠だけでは食べて行けなかったのかも。この辺は、今も同じようなケースがあるようで。

その後1726年の芭蕉の33回忌にあたる年に、「芭蕉堂」と呼ばれた松尾芭蕉やその弟子らの像などを祀った建物が敷地内に作られたらしい。

庭園は、草が茂って野趣あふれる風情。ここで一句と行きたいところですが、ひねり出すのに数時間もかかりそうだったので断念しました。

永嶋 信晴

永嶋 信晴ビジネス便利屋兼ウォーキングライター

投稿者の過去記事

東京生まれ。早稲田大学および日本大学卒業。地方銀行に約十年間勤務した後、各種業務代行会社を設立し独立。趣味はウォーキングで、各地の名所旧跡を歴史的、あるいはオヤジ的な見地から訪ね歩く。司馬遼太郎とBS旅番組のファン。著書は、「新規開拓営業の教科書」(青月社)、「ハッスル老健」(ゆまに書房」など多数。

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