宝塚温泉を歩く6:橋物語

今回は「橋」に焦点を合わせて街を歩いてみます。現在、宝塚には宝塚駅前:宝来橋、宝塚南口駅前:宝塚大橋、そして市役所前に宝新大橋があります。調べると以前はあったが度重なる大雨で流失した2つの橋が宝来橋の上流&下流にあったそうです。昔の観光絵葉書を見ると橋がひとつの温泉街のシンボル的なランドマークになったいたようです。今も往時の視点で作られた橋もあります。さて、どんな橋の物語に出会えるでしょうか…まずは、今はなき橋から始めましょう。

失われた美橋・千歳橋

今も古書店で売られている絵葉書に残る「千歳橋」、その構造美にひかれますね。欧米帰りの建築家によって設計され鉄筋コンクリート製、長さ40m、幅3mの美しいトラス橋でした。「見返り岩」と対岸の「愛の松原」と呼ばれた川原を結ぶ私設の橋だったそうです。大正10(1921)年5月完成、昭和20(1945)年10月の阿久根台風の豪雨で流出してしまったのが残念です。

 

今も残る迎寳橋の遺構

迎寳橋は左岸と右岸の観光地を結ぶ目的で明治43(1910)年3月に架設されました。この橋も度々水害で流されましたが、昭和25年9月に襲来したジェーン台風により流出した後は再度架けられる事がありませんでした。今は親柱だけがひっそりと湯本町の堤防フェンスの向こうに残されています。

 

ひっそりと残る親柱。言われないと気付かない場所にあります

美しいS路を描く宝来橋

板を渡しただけの丸木橋から始まり、有志の寄付で造られ橋脚が一本の珍しい初代橋、おしゃれな街灯が並ぶ鉄鋼製の橋が作られました。駅前のメインの橋だったのに昭和30年まで車が通れない人道橋だったそうです。現在の宝来橋は阪神淡路大震災の前、平成6年秋に架けられました。橋の長さは136.6m、幅は17mでうち車道部分は8mあり工費は約20億円、S路を描く美しい構造をしています。左岸と右岸の高低差があって駅前から緩やかな上り道になっているので、急峻な上り道を避けるためにS路に設計されたんでしょうね。

現在の宝来橋

宝塚大橋と寳塚小橋

宝塚南口駅前すぐに「宝塚大橋」、清荒神や売布神社へ向かう旧国道176号線に架けられた小さな橋が「寳塚小橋」です。この大橋と小橋、名前に関連性があるのは何故?と調べたら…初代の宝塚大橋、自動車が通れる橋として開通したのが昭和8年2月、寳塚小橋の親柱には「昭和8年2月架」と刻まれています。この二つの橋、実は同じ年に生まれた同い年の橋だったですね。もしかしたら建設会社も設計者も同じだったかも?今では誰も知らない細やかな忘れられた無名の歴史です。

今の宝塚大橋

寳塚小橋。親柱のみが残っています

川面橋と出世神社

寳塚小橋のすぐ上にある川面橋、親柱には「昭和3年4月架」とあり小浜宿から宝塚への旧道に架けられた橋です。名の由来は、すぐ近くにある川面神社からでしょう。ちなみにこの神社、旧武庫郡川面村の産土神で、通称名は「出世神社」といわれているそうです。名の由来は「慶長年間豊臣秀吉公の崇敬厚く先祠職中山寺に滞留するや当社を崇敬し神前左右に手洗池を掘り境内風致のため植樹すると伝う」の伝承があり、当時の出世頭の太閤さんにあやかって通称名がついたかと…真義のほどは?ですが~よって、宝塚歌劇生や音楽学校生の信仰を集めています。

川面神社

宝塚大橋の風景

さて話を宝塚大橋に戻します。宝塚南口駅かわ渡ると宝塚音楽学校と宝塚歌劇場あり、その向こうに手塚治虫記念館があります。左右の歩道には、彫刻家淀井敏夫作の「渚」と「鷗」、具象彫刻家・新谷琇紀作の二体の「愛の手」の4点飾られていて他の橋にはない「文化」「芸術」の香りがします。彫刻の詳しい紹介は次回でしようと思っています。

宝塚新大橋

さて最後、一番地味で中国自動車道宝塚ICができたゆえに架けられた橋的な様相を否めませんが、実はこの橋、しっかりと昔の交通の要に架かってます。橋の上流すぐに「伊孑志(いそし)の渡し」跡の碑があり、江戸時代から大正のはじめ頃まで小舟による運行があったそうです。ここの土手で宝塚の街並や六甲の山を眺めるに最適な場所です。おやつを持って是非〜♪

現在の宝塚新大橋、ごく一般的な橋です

土手が気持ちいいです〜♪

rojii

rojii銀輪&徒歩での低速徘徊を人生の糧とす。

投稿者の過去記事

3歳の頃より気ままにブラ歩き、母を激怒させ、6歳で銀輪の味を覚え、13歳にして銀輪無限地獄に堕ち、そのまま年を重ねもうじき還暦。三つ子の魂百まで、野良道、山道、路地道を写真機持って日夜低速徘徊。怪しきモノ、珍なるモノ、コナレタモノ達と出会う事を活きる糧にしております。

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