宝塚温泉を歩く7:彫刻は踊る1(宝塚駅前編)

日常生活で彫像に触れる機会ってあんまりないなぁ~でも前回の橋巡りロケをやったら宝塚大橋に彫刻が4体あったよな~と思い調べてみたら、おおお~街の風景放置オブジェ化した状態の4体の彫像、さる有名な作家の作品やったんですね!ならばと調べたら出るわ、出るわ、驚きの点数!?今回はゲイジュツとブンカの街・宝塚で彫刻を巡ってみます~♪ 第一弾は宝塚駅前編です。

JR宝塚駅コンコース:シンシア像

ゲイジュツ品ではないのですがまずは「身体障害者補助犬法」の成立に尽力した介助犬として話題になった「シンシア」像から~私らの世代では「シンシア=南沙織さん=篠山紀信氏の奥さん=なんで篠山と突然結婚したねん!」と連想するんですが、シンシア=「月の女神、蟹座の守護神の意」という意味〜で、調べてみたら宝塚市在住で車椅子生活をおくられていたコンピュータプログラマーの木村佳友さんにに飼われていた介助犬、この名は、木村さんがが南沙織さんのファンで彼女の愛称にちなんでつけられたもの。宝塚市は「すべての人にやさしいまちづくり」のシンボルとして銅像の設置を決め平成25年3月に置かれたそうですが…。

平成26年9月現在周辺工事中、壁に囲まれ、介助犬マークは半分見えず…

宝塚駅前1:楽器のオブジェ

彫像ではありませんが、JR宝塚駅と阪急宝塚駅の間、タクシー乗り場横にある色々な楽器を棒団子状に積んだオブジェは「アルマン・フェルナンデス作:クレシェンド(音楽の強弱記号のひとつで次第に強くの意を示す)/平成7年作=1995年=阪神淡路大震災」。作者・アルマン・フェルナンデス(1928年生〜2005年没 )は、フランスの彫刻家・画家・現代美術家で、日用品や廃棄物を大量に集積し作品で大戦後の大量消費社会の生産・消費・廃棄のメカニズムを批判そうな…うーん、そうだったんだ!!

ズームアップしてみると色々な楽器が組み合わされている。金管楽器だけ本物みたい。

宝塚駅前2:鉄のオブジェ

「村岡三郎作:負(マイナス)の鉄」という作品名のオブジェが駅前にある???うー全く見た記憶がない?ワシントンホテル側にあるらしい?行ってみるとホテルの西のはしっこ!ネットで見たときは錆が浮いてましたが綺麗に黒い塗装がなされてましたが、これって作者の意図した事なんかなぁ~と黒ペンキ塗装の作品を見ての第一印象。作者、村岡三郎氏(1928年生〜2013年没)は、大阪府出身の彫刻家で、作品が特徴的としては、鉄、硫黄、塩などの自然物質を使って人間の「生命」や「死」を表現なんだそうで、この作品は?うーん、難しいそ?!

右から見ても、左から見ても…堅い鉄が溶けて???

宝塚駅前3:消えたオブジェ

調べると「今村輝久(1918生~2004没)作:明日へのコンセプト(平成15年作)」という金属の輪っかと棒のオブジェがあったはずな場所に宝塚歌劇百周年記念ダンシング像が? 駅前広場をグルリと見たらこのような石碑と台座?ベンチ?が…どこへ行ってしまったんだろうか?謎であります?

宝塚駅前4:宝来橋のステンレスの輪っか?

ゲイジュツヒンはないか、ブンカブツはないかと宝来橋のたもとへ~なにやら光輝くステンレスの輪っかオブジェが!?コレもゲイジュツカの作品かと調べたら「マルタ・パン作:枠どられた風景/平成5年作」とあり、川の流れるフォルムを持つ宝来橋の設計も行っているのだとか。作者について調べると〜マルタ・パン(1923年生~2008年没)、ハンガリーのブタペスト生まれのフランス女性彫刻家、都市や自然との調和をテーマに彫刻作品を作っているとか。そうかこのオブジェと宝来橋が一体となり風景と人工物が調和する作品なんやね。国内では、札幌芸術の森や箱根彫刻の森美術館で作品を見る事ができるそうな。高松宮殿下記念世界文化賞のサイトで他の作品と講演録を読む事ができる。

題目「枠どられた風景」とあるので、正面から輪っかを覗いてみた…

宝塚駅前5:宝来橋下流すぐの石柱?

花の道へ行こうと思ったらいきなり立つ石の柱?なんやろか?とぐるり回ったらプレートに「市川悦也作:淼(びょう・びょう)淼/平成5年作」とある?作者や作品自体よりも題目が気になる??? 当用漢字にあるのか?パソコンで出て来るのか?調べたら「淼淼(渺渺)〜水が浩大なさま。はてしなく広いさま」という意味らしい。武庫川の流れを表しているのかな??? 作者・市川悦也さんは彫刻家で、旧奈良市内で生まれで神戸市在住、宝塚大学造形芸術学部で20年間教員をされていたらしいです。いく本かの石柱を組み合わせ森と淼を同時に表現してるんでしょうかね???

でも、もうちょっと作品に対する心遣い欲しいですよね…

宝塚駅前6:与謝野晶子の句碑

彫刻の類いではありませんが、駅から宝来橋を渡り右岸の際に明治の歌人・与謝野晶子の句碑があります。夫の与謝野鉄幹と大正6年(1917年)6月に3週間ほどかけて阪神間を周遊した時にに宝来橋付近で三首の句を詠んだそうで、宝塚歌劇団の雑誌「歌劇」の創刊号(大正7年/1918年)に「武庫川の夕」という題で掲載されたとか…「彫刻は踊る2」では、おなじみのキャラクター編をお送りします。

~ 武庫川の夕 ~

武庫川の 板の橋をば ぬらすなり
河鹿の声も 月の光も

夕風は 浅瀬のなみを しろく吹き
山をばおもき 墨色に吹く

風吹けば 夜の川波に 早がきの
文字かく灯かな 湯の窓にして

rojii

rojii銀輪&徒歩での低速徘徊を人生の糧とす。

投稿者の過去記事

3歳の頃より気ままにブラ歩き、母を激怒させ、6歳で銀輪の味を覚え、13歳にして銀輪無限地獄に堕ち、そのまま年を重ねもうじき還暦。三つ子の魂百まで、野良道、山道、路地道を写真機持って日夜低速徘徊。怪しきモノ、珍なるモノ、コナレタモノ達と出会う事を活きる糧にしております。

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