中世の武士の館の風情が残る一之江名主屋敷と役者寺を歩く 東京都江戸川区亜f東京都

夏に行きたい、親水公園が豊富な江戸川区

今回行ったのは、東京都江戸川区。

新興住宅街として発展している地域ですが、そう古くない時代は、水田や金魚の養殖池が広がるのどかな農村風景が広がっていたそうですね。

江戸時代は、現在の千葉県の一部にあたる下総の国から江戸へ物資を運ぶ運河がいくつもあったらしい。それらは、親水公園となって住宅街に緑のオアシスをもたらしているそううな。暑い時期は、水辺の散策といきたいところですね。

…ということで、ウォーキングのスタートは、都営地下鉄新宿線瑞江駅北口から。

駅前はスーパーや商店が並ぶ、どこにでもある景色ですが、とびきり古い建物はないみたい。新宿線が開通したのは昭和61年で、そこから商業・住宅地として急速に発展したのですな。

「役者寺」とも呼ばれている大雲寺

住宅街をテクテク歩いてまず向かったのは、大雲寺。

創建は江戸時代初期で、当時は台東区の蔵前にあったそうですが、その後の火災や関東大震災などで、大正14年から現在地に移転を開始し、昭和の始めに完了したらしい。

このお寺は、歌舞伎役者の墓が多いことから「役者寺」とも呼ばれているのですか。確かに、本堂の奥の墓地には、歌舞伎の大名跡のお墓が並んでいました。

たとえば、市村羽左衛門累代の墓、坂東彦三郎累代の墓、初代尾上菊五郎供養碑、中村勘三郎累代の墓など。中村勘三郎のお墓とはすごいと思ったのですが、先日亡くなられた中村 勘三郎さんのお墓は台東区のお寺にあるそうで。十八代目も続くと、どの勘三郎さんかわからなくなりますな。

一之江新田の開拓者のお墓がある城立寺

大雲寺を出て、ひたすら住宅街を歩きます。30年くらい前に来たときは、この辺りは畑だった記憶がありますが、今は畑の「は」の字もありませぬ。ここ数十年で東京はすごい勢いで都市化が進んだのだと実感できました。高速道路の高架の下をくぐって向かったのは、城立寺。

城を立てるお寺とは、城好きには魅力的なネーミング。昔は城館だったのかなと思って、周りを歩きましたが遺構は発見できませんでした。

このお寺の開基は、この辺りの一之江新田の開拓者である田島図書という人。彼はもと豊臣家の家臣で堀田姓を名のっていたらしい。関ケ原合戦に敗れて関東に下り、この場所で田島姓を名のって新田の開拓を進めたそうな。

いわば豊臣方の残党が、敵地のすぐ近くで新田開発をしたとは興味深いですね。このお寺の開基が1628年。大阪の陣が1614~1615年ですから、それほど離れていないですよね。大阪に豊臣家がいた頃に、豊臣家の家臣が家康のおひざ元で暮らしていたわけで、いろいろ妄想が膨らみました。

境内には、その田島図書の墓がありました。

すぐ近くにある石造釈迦如来坐像は、田島図書の子孫が寄進したもので、台座を含めると高さ3メートル余りもある立派な石仏。

あとで調べると、大正12年の関東大震災と平成23年の東日本大震災で首が折れ、修復されたそうですね。

中世の武士の館の風情がある一之江名主屋敷

城立寺の近くにあるのが、一之江名主屋敷。さきほどお墓を訪れた田島図書を先祖とする田島家の元お屋敷です。

前にも書いたように、豊臣方の武士であった田島図書が刀を捨て、江戸時代の初めに屋敷を構えたのがこの場所だったらしい。ここを拠点に、それまでの湿地帯や原野に新田開発を行ったのですね。

開発の努力によって、田島家は江戸時代を通じて一之江新田の名主を務めることになったのですか。元武士だけあって、名主屋敷のイメージは中世の武士の館の風情があると感じました。と言うのも、方形にみえる敷地は、鎌倉時代の武士の館のイメージ。

昔は、屋敷の周りに堀が巡っていたそうなのですよ。全国の城跡を紹介するホームページにも、こちらの屋敷が城跡として紹介されているケースが少なくありませぬ。確かに、江戸時代の一般的な名主屋敷とは少し違う雰囲気が感じられました。

武士の城館をイメージするアイテムの一つが、この威厳ある長屋門。かつては、この門の左右にも堀が巡っていたらしい。

関東地方には珍しい曲り家の主屋

長屋門を抜けると、一気に江戸時代にタイムスリップした気分。主屋や長屋門は残っていても、庭や屋敷森まで昔の風情のままというところはあまりないですからね。

主屋の茅葺き屋根がインパクトあります。この破風なんて、大寺院の屋根のような迫力を感じますな。

それにしても、東京にあって、主屋が曲り家になっているのは珍しい。曲り家といえば、南部曲り家が有名なように岩手県というイメージ。そこでは、住宅部分と厩が一体となって曲り家になっているのでした。

入館料100円を払ったついでに、係の人に聞いてみたら、一之江名主屋敷は馬と暮らしていたのではなく、土間や倉庫として活用されていたみたい。

カマドも、保存状態が素晴らしいですね。

現在の主屋は、安永年間(1772年から1780年)に再建されたものらしい。座敷、板の間、土間などからなり、広さは約84坪。土間を除いた住まいの部分は、奥座敷・次の間・中の間などからなる畳敷きの部分と仏の間・納戸などの板の間からなっています。

長屋門から入ると、正面には間口二間の大玄関。身分の高い人はそこから入り、次の間を経て奥座敷へと通されるのでしょう。これは典型的な名主屋敷の様式ですね。奥座敷は意外と質素なイメージでした。

でも、神木と言われるスダジイや灯篭を配した回遊式庭園などが濡れ縁越しに眺められ、当時の名主屋敷の雰囲気が伝わってきます。

江戸時代の名主屋敷を敷地ごと体感できる

主屋を出て、屋敷森を歩くと、屋敷神が祀られていました。さらに歩くと、立派な空堀が…。

今から20年以上前に来たときはなかったような。当時の私が、こんな大好物を見逃すはずはなかったでしょうからね。これら中世の士豪屋敷を思わせるアイテムは、平成11年の敷地環境整備で復元されたものらしい。

空堀を超えると、最近できた建物が目の前に現れます。これは、今年できたという展示棟。まだ木の香りが漂う内部には、名主時代の田島家の資料が多数展示してありました。

23区の住宅街で、江戸時代のお屋敷が敷地ごと体感できるのですから、お得感最高の観光スポットでしょうね。

永嶋 信晴

永嶋 信晴ビジネス便利屋兼ウォーキングライター

投稿者の過去記事

東京生まれ。早稲田大学および日本大学卒業。地方銀行に約十年間勤務した後、各種業務代行会社を設立し独立。趣味はウォーキングで、各地の名所旧跡を歴史的、あるいはオヤジ的な見地から訪ね歩く。司馬遼太郎とBS旅番組のファン。著書は、「新規開拓営業の教科書」(青月社)、「ハッスル老健」(ゆまに書房」など多数。

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