謀反人・明智光秀の根拠地!京都府亀岡市の亀山城跡

亀岡では英雄の明智光秀

明智光秀、という名前を聞いて、どんな人物を連想しますか?「本能寺の変」で主君・織田信長を裏切って殺した謀反人。あるいは天下を奪ったものの、すぐに天王山で羽柴(豊臣)秀吉に敗れた「三日天下」……。などなど、あまりいいイメージはないでしょう。

しかし、明智光秀を英雄視する土地があります。それが京都府亀岡市です。ここには明智光秀が築城し、根拠地とした亀山城がありました。ただし、現在は天守閣などが残っていないので城跡となっています。

私事で恐縮ですが、筆者の姪は亀岡で育ち、彼女の話によると亀岡の学校では明智光秀のことを英雄として学ぶそうです。末裔の織田信成にとっては許しがたい地?なのかも知れません(笑)。

亀山城跡のすぐ近く、現在の亀岡市

「敵は本能寺にあり!」

亀山城は安土桃山時代の1578年、明智光秀が築城しました。織田信長の命を受けた明智光秀が、丹波国(現:京都府)を平定するために築いた城です。

しかし1582年6月1日、1万3千人の兵を率いて亀山城を出発した明智光秀は、本来ならば織田信長の命令により中国地方の備中国(現:岡山県)で毛利氏と戦っている羽柴秀吉の応援に行くはずが、「敵は本能寺にあり!」と叫んで(本当にそう叫んだのかは不明ですが)中国とは逆の東へ進み、翌2日に京の本能寺にいる織田信長を討ったのです。中国へ行くか京へ行くか、その分岐点となったのが現在の亀岡市と京都市西京区の境、国道9号線の老ノ坂峠を越えた所にあった沓掛です。

明智光秀は、この謀反を亀山城で考えていたのでしょう。日本の歴史を変える大事件が、亀山城で企てられたのです。

現在の亀山城跡。ここで「本能寺の変」が企てられた?

明治の廃城令により天守が消滅

明智光秀の死後、主を失った亀山城でしたが、後に天下を取った豊臣秀吉や徳川家康も亀山城を重要視しました。京の都がある山城国(現:京都府)と隣接する丹波国にあり、中国地方を牽制するためにも亀山城は重要な位置にあったのです。

江戸時代には5層の立派な天守閣が完成したようですが、現在ではその影も形もありません。実は、戦乱によって消失したのではなく、明治時代の廃城令によって天守閣は解体されたのです。新政権を担った明治政府にとって、火種となる城郭など邪魔以外の何物でもありませんでした。

その後、亀山城は荒れ果てましたが、宗教法人「大本」が亀山城跡を買い取り、城内を整備したのです。城内は木が生い茂り、晩秋になると紅葉も楽しめます。

紅葉が色付いた亀山城内

なぜに”亀山”城?

ここまで読んできて、不思議に感じたことはありませんか?亀市にあるのに、なぜ亀城なのか、と。

実は、亀岡は元々亀山という地名でした。しかし、亀山は伊勢国(現:三重県)にもあります。そこで混同を避けるため、明治時代に丹波国の方を亀岡と改称したのです。からへ、ちょっと小さくなったわけですね。つまり、江戸時代は亀山藩でしたが、明治維新後の1869年(明治2年)に亀岡藩となり、1971年(明治4年)には廃藩置県により亀岡県となりました(同年、京都府に編入)。

したがって、三重県亀山市にも亀山城(跡)はあります。両城を区別するために、三重県の方を伊勢亀山城、京都府の方は丹波亀山城とも呼びます。また亀岡城と呼ぶ場合もあるようです。

石垣が残る丹波亀山城跡

亀山城跡へのアクセス

亀岡市は、京都市の北西側に隣接しています。亀山城跡の最寄り駅は、市の中心駅でもある亀岡駅で、近くには保津川下りの乗船場があります。

亀岡駅へは、京都駅からJR嵯峨野線(山陰本線)に乗って、快速で約20分、普通電車なら約25分で着きます。亀岡駅から亀山城跡へは徒歩約10分です。

車利用の場合は、京都縦貫自動車道の亀岡ICを降りて、国道9号線の近くにあります。なお、亀山城跡の入場は無料ですが、「大本」の敷地内のため城郭へ入るには入口受付での許可が必要です。

一度、亀山城跡を訪れてみてはいかがでしょうか。明智光秀に対する見方が変わるかも知れませんよ。

 

安威川敏樹

安威川敏樹スポーツを中心とするライター

投稿者の過去記事

大阪府在住。作業関連機器の設計から、スポーツを中心としたライター・コラムニストに転身。野球雑誌等に寄稿の他、電子本に野球小説を執筆。野球の独立リーグでの公式記録員の経験あり。野球以外では、ラグビー雑誌にも寄稿。モットーは「文字をオモチャにして遊ぶ」。

PAGE TOP